昨年Amazonの本ランキングで2,644位⇒2位に急浮上した[滑走路]歌人 萩原慎一郎さんを知っていますか?

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皆さんこんにちは。
日々ダイエットに励んでいるはずの のんです。

皆さん、読書は好きですか?
私は、ほどんど読書をしません。

なぜなら、

・文字を目で追う事が面倒くさい
・読むより聞いた方が早い
・飽きっぽい

・文字がぼやける

からです(;^ω^)

しかし、1年に1度 書店へ行くかどうかの私が、あるテレビ番組をきっかけに書店へ足を運んだのです。

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出会い

昨年、仕事が終わって帰宅して いつもの様にテレビをつけて、たまたま始まった番組を観ていました。

”NHKクローズアップ現代+”

そこで観た、萩原慎一郎さんの

歌集[滑走路]

番組内で紹介されていた短歌はとても分かりやすく、共感できるものが多かったので、気がついたら真剣に見ていました。

そして、その平成の時代を詠ったと言われる短歌集が、いま静かなブームを起こしています。

萩原慎一郎さんの短歌をいくつかご紹介します。

”きみのため用意されたる滑走路
 君は翼を手にすればいい” 

”消しゴムが丸くなるごと苦労して
  きっと優しくなってゆくのだ”

歌集[滑走路]を読んだ人たちは皆

「自分のことかと思った」
「心を鷲掴みにされた」
「人生のお守りとして持っていたい本」

と感じるそうです。

萩原慎一郎さんの生い立ち  いじめ

萩原さんは中学受験で志望校に合格!
野球選手に憧れ 野球部に入部します。
しかし、そこでいじめを受けるようになります。
監督に怒鳴られ 部員にもからかわれました。
通学カバンが、トイレなどに捨てられていたこともありました。
「生きている価値がない」
「顔が気持ち悪い」
暴言暴力続き いじめはエスカレート…

そして、野球部を退部しました。

それでも萩原さんへのいじめは止まず高校時代まで続いたそうです。

短歌との出会い

萩原さんの短歌との出会いは 近所の書店で行われていた俵万智さんのサイン会!

俵万智さんといえば「サラダ記念日」

昭和時代 空前の短歌ブームを巻き起こしました。

萩原さんはこれを読み、自分の思いを短歌で表現するようになりました。

”プロ野球選手になれず月の夜に
  歌人になりたいと思う窓辺に”

”抑圧されたままでいるなよ
  ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ”

歌人 萩原慎一郎さんの誕生です。

こうした萩原さんの歌は数多くの大会で入選し、30代に差し掛かる頃には短歌の世界で高く評価されていったのです。

社会人としての萩原さん

高校卒業後は 精神科に通いながら通信制の大学へ進み6年かけて卒業
就労支援施設に通い、会社に出ることを諦めることはありませんでした。

”昨日よりステップアップしていたい
 鏡の前で髭を剃りつつ”

”まだ結果だせず野にある自販機で
 買いたるコーラいまにみていろ”

萩原さんの就いた職業

書店の倉庫の在庫管理や研究機関の事務員など いわゆる非正規雇用でした。

どの仕事も事務職の補佐。
資料を整理し コピーを取り 出来上がった書類の発送。
仕事内容は はっきり言って雑用。

しかし、どんな仕事でも萩原さんはふてくされることもなく、一生懸命勤めていたそうです。

”シュレッダーのゴミ捨てにゆく
 シュレッダーのゴミは誰かが捨てねばならず”

そしてその時代、萩原さんと同じように会社に都合よくロボットのように使われていた派遣労働 非正規社員に歌でエールも送っていました。

”非正規の友よ負けるな
 ぼくはただ書類の整理ばかりしている”

どんな地味な仕事にも真摯に向かい合う萩原さん。


その頑張りの背景にあったのは

「恋」

でした。

“恋をすることになるのだ
 この夏に出逢いたかった人に出逢って”

”作業室にてふたりなり
 仕事は関係のない話がしたい”

萩原さんは過去に失った時間を取り戻そうとしつつ、目の前の光に胸を高鳴らせていたのかもしれませんね。

しかし、萩原さんの心は満たされることはなかったのです。

同じ職場の正社員の人達は結婚して家庭ができ始めていました。
その光景は、ほぼ年齢の同じ萩原さんにはとても辛かったようです。

帰宅後 家族に
「僕も子供がいてもおかしくない歳なのに…」
と話していたようです。

”箱詰めの社会の底で潰された
 密柑のごとき若者がいる”

初めての歌集「滑走路」早すぎる死

2017年にKADOKAWAからの出版が決まりました。

本のタイトル・表紙・構成は萩原さんがすべて決めたといいます。

しかし、萩原さんの精神状態は限界にきていました。
いじめの後遺症は拭われることはありませんでした。

2017年6月8日
萩原慎一郎さんは自死…享年32歳

歌集の出版を見ることはありませんでした。

萩原さんが遺したもの

萩原さんの亡き後 歌集『滑走路』は販売され、多くの反響がありました。
多くの新聞やテレビは非正規歌人として萩原さんを紹介。

そんな中、私が観た NHKのクローズアップ現代+放送後には Amazonの本ランキングで、2,644位⇒2位に急浮上!!

あっという間にベストセラー1位に

話題が話題を呼び 萩原さんの歌はさらに多くの人に知れ渡ることになりました。
私もその内の1人です。

人によっては萩原さんが自死したことについて

「こんなに勇気づける歌をいっぱい残してくれるなら、どんなにかっこ悪い形でも生きていて欲しかった」

と、悔いている人も多いことでしょう。

私も最初は思いました。
でも、それだけひどいいじめを受けて 萩原さんは心に深い傷を負っていたのだと思います。

”生きているというより 生き抜いている
 こころに雨の記憶を抱いて”

萩原さんは、限界まで詠い続けてくれたんだと…
私は信じています。

萩原さんが亡き今も、そしてこの先も、歌集「滑走路」は多くの人の目に触れ 心に刻まれ、生き続けるのだと思います。

萩原さんの短歌をもう少し知りたい方はこちらをどうぞ!

最後に…食べるの大好き!のんが、1番心に残った歌とは…

”テレビにて「伊勢海老まつり」特集を されていたからたべたくなった”

━━━━(゚∀゚)━━━━

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